漢方の歴史(漢方治療の古典の本編)
漢方薬には4千年の歴史があるとか、2千年の歴史があるとか・・・漢方は歴史すら、一般的には良く知られていません。
そこで漢方の歴史を紹介したいと思います。
漢方の最初の起源は昔すぎて、本当のところは難しいですが「医療として確率」したのは2600年位前だと推測されています。
4千年は言い過ぎですが、2600年前の方法で、人間の体を治せるって何かロマンを感じます。というか、その魅力に魅せられて、僕は漢方マニアになった感じです。
保険適応の医者などは現代風にネズミの実験での効果を元にマニュアル的に漢方薬を選ぶとうい意味不明なことをしていますが、本来の漢方の診断方法は、今もその柱の考え方は変わっていません。
伝統的な東洋医学理論に則って治療すると、現代でも漢方薬は絶大な効果を発揮するのです。
ほんと、医者や漢方薬局の先生が、なぜ、マニュアルで簡単かもしれないけど、治らない意味不明な方法をとっているのか不思議です。
考えてみれば、人間の体自体は2千年前と同じなんですよね。
目は2つ、鼻は1つ、口は1つ、手足は2ほんずつ。
文明が進んだからといって、目が4つになったり、足が6本に増えたりしていません。
当然、体内の臓器も2千年前と同じなのです。
漢方の医学の始まりの本
いわゆる古典とよばれる漢方医学の始まりの本があります。
漢方医学の聖書みたいなものですね。
イメージは聖書ですが、書いてある内容は物語でも抽象的な内容でもなく、ゴリゴリの医学書です。
その原初の古典書が
『黄帝内経素問』『黄帝内経霊枢』『神農本草経』『傷寒論』『金匱要略』の5冊です。
この古典本は紀元前から西暦200年前後のもので、三国志の時代で、ほぼ、医学としての形は完成されます。
最初の漢方の医学書
おそらく最初の古典本は『黄帝内経素問』『黄帝内経霊枢』で、この本には人間の体の生理や解剖や病気になるメカニズムや生活養生方法、鍼灸術などが書かれていました。
漢方は西洋医学と違い、西洋医学の外科的要素はないように思われますが、2600年前には解剖図なども記されています。
これが実に詳細なんです。
こんなことを言ったら、中国の人に怒られるかもしれませんが、中国の拷問とかって、歴史をみると結構、えぐいものが多いので、きっと、実際に普通に解剖したんだろうなと思います。
じゃあ、2千年前にすでに解剖していたのに、なぜ、西洋医学のような体内を見ていく医学にならなかったのでしょうか?
ここからは僕の推測ですが、結局、体内の形などがわかったところで、治療としては、結局、普段の生活をしながら治していけないといけないことはわかっていたのでしょう。
現に今も大半の人が困っている慢性病は手術では治せません。
このあとに薬の本も登場しますが、結局、治療としては実際に薬を飲んでみて、実際にどんな風に変わっていくのか?事実だけを観察していかないと治療にならないと古代の中国人は、すでに今の西洋医学の手詰まり感をわかっていたのではないかと思います。
結局、2千年後、西洋医学は体内をどんどん詳しく調べていって、手術方法を発展し、感染症なども克服してきましたが、薬はいまだに根本的に治す術はなく、一時しのぎの対症療法で症状を誤魔化して抑えるだけで治すことはできていません。
最初の漢方の医学書「神農本草経」
神農本草経とは動物、植物、鉱物の生態と効果を詳細に記したものです。
ここでの効果とは、西洋医学のような『ネズミで実験してわかった主成分』などではなく『実際に食べたり飲んだりした時に人間の体にどんな影響を及ぼすか』というリアルな効果のことをさします。
生薬の中にはゴキブリや石もあり、「そんなものも飲んだのか!?」と人体実験の幅にビックリしますね。
ある意味、昔の医学だからこその利点ですね。
西洋医学でも最終的には人間が飲む薬なので本当は漢方のように人体実験をするべきですが、それは治療とは関係なく社会的に許されないですから。
神農本草経には365品目が記され、それらを上薬、中薬、下薬と。
3つにわけています。
上薬は命を養い長期間、飲んでも無毒なもの。
中薬は性を養い、使い方次第で無毒にも有毒にもなるもの。
下薬は病気を治すが毒があるので、必要な時だけ用いるもの
とされています。
たまに生薬をサプリにして、「神農本草経に記されている上薬である生薬を使用しているので効果が高い」的に宣伝しているものがありますが、神農本草経は、あくまで、生薬学の原点であって、ここから、いろいろな生薬を組み合わせて漢方薬を作って病気を治すので、上薬の生薬だから、病気が治りやすいわけではありません。
ほんと、漢方って勘違い情報ばかりが広まって困ります。
最初の漢方の医学書「傷寒論」
三国志の始まる時代に長沙の太守である張仲景が傷寒論を記しました。
傷寒論をつくるきっかけは張仲景の一族は200人あまりいましが、10年の間に3分の2の人が傷寒(腸チフスやインフルエンザなどの死に至る感染症)で死んでしまい、傷寒論という治療書を記したといわれています。
傷寒論は、先ほどまでの『黄帝内経素問』『黄帝内経霊枢』『神農本草経』とは違い、体質を診断するとか、治療をどんな風に考えれrば良いのか、とか、体質に対してどんな漢方薬をどんな風に合わせるのが良いのかなど、ガチガチの実践手引書です。
そして、傷寒は感染症を治すことが主な目的なので、漢方薬で急性病に対応できるのです。
もちろん、保険適応の医者がやっているような体質判断を無視したなんちゃってマニュアル漢方では無理!ですよ。
ちゃんと古典の内容を理解して、傷寒論の実践方法を応用すれば、急性病に対しても漢方薬は短期間で効果を発揮するのですね。
『傷寒論』は『傷寒論』と『金匱要略』にわかれ、『金匱要略』はいわゆる慢性病をどう治すかという本です。
漢方薬を本来の使い方で治す場合は、まず、これらの古典を勉強することが患者さんを治す第一歩になります。
どこかの漢方薬メーカーが主催する漢方勉強会に3ヶ月に1度位に顔を出して、マニュアルで漢方薬を処方する方法を学ぶことが漢方の勉強ではないのですね。
今回は漢方の歴史の最初の部分を紹介してみました。
舞台はまだ中国です。
僕が実践している日本独自の日本漢方(本当はこのことを書きたい)まで記事で書いていこうと思ったら、どれだけ書いていかないといけないのか…果てしなく長いです。
【引用先及び参考図書、Webサイト】
◯漢方の歴史:大修館書店
◯図説東洋医学:学研
◯中国医学の秘密:講談社
◯陰陽五行説:薬業時報社
◯まんが漢方入門:医道の日本社